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辻村宣人 (ツジムラノリヒト)

1975.8.9生まれ

三和中部保育園

三和小学校

野澤勉強会

西尾東部中学校

西尾高校

名英予備校

法政大学

K塾

Z塾

 

学び舎 辻村勉強会

「勉強の仕方を勉強しよう。」

「一冊のテキストがぼろぼろになるまで繰り返す」
「学校の宿題は何回も繰り返す」
「覚えることは書いて繰り返す」
こんな当たり前のことを誰も教えてくれない。
なぜなら、
「繰り返す」ことは儲からないからだ。
「新しいテキストを買いましょう、新しい講座を受講しましょう、新しいタブレットをプレゼントしましょう・・・」

商業ベースに乗った塾の過保護なサービスによって成績が上がった子は、
高校へ行ってこう言う。

「勉強の仕方がわからない…」

遠まわりでも、不器用でも、要領が悪くてもいい。
学問に王道なし。

勉強の仕方を勉強しよう。

自分の手で、しっかりとつかみとるまで。

勉強会

 自分で考えなさい。

 自分で見つけなさい。

 成績は、自分で上げなさい。

 こんな冷たい学習塾は、他にない。

  学び舎 辻村勉強会

「勉強の仕方を勉強しよう」

Study Group

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​テスト勉強会

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夏休み・冬休み勉強会

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土曜勉強会

中間・期末テスト週間

平日・午後6:00~10:00

土日祝・午前8:00~10:00

テスト当日・午後1:00~10:00

夏休み・冬休み

月~金曜日

​午後1:00~6:00

毎週土曜日

​午後1:00~6:00

Timetable

8:00~8:50

9:00~9:50

10:00~10:50

11:00~11:50

1:00~1:50

2:00~2:50

3:00~3:50

4:00~4:50

5:00~5:50

7:00~7:50

8:00~8:50

9:00~9:50

「成績を上げるということ。」
 城山中・若水中・振甫中・緑中・左京山中・滝ノ水中・大治中・七宝中・七宝北中・美和中・蟹江中・佐屋中・天王中・立田中・藤波中・知立中・知立南中・矢作中・矢作北中・安城北中・東山中・朝日中・依佐美中・幸田中・六ッ美中・西尾中・平坂中・鶴城中・福地中・東部中・・・。
 私はこれまで、愛知県内で20以上の中学校の生徒を塾講師として指導してきました。若い頃の私は、生徒の成績を上げることが楽しくて仕方ありませんでした。学年順位も、内申点も。自分自身も表彰され、昇格し、昇給し。
 生徒の成績を上げるその方法は、当時であれば「企業秘密」でしたが、今では事細かに話すことができます。それは・・・、出題する中学校の先生の出題傾向を休日返上で徹底的に分析し、予想問題からなるテスト対策プリントを校舎に泊り込んで徹夜で何枚も作り、生徒には出ない問題は与えず、出る問題のみを与え、意味など理解させず強制的に暗記させる。ゴリゴリの管理教育よろしく、自主性の芽を摘み、自分で考えさせず、精神論で抑え込む。失敗が許されない私は、生徒たちの失敗も許しませんでした。血のにじむような努力をした私は、言うなれば究極の近道を生徒たちに教えたのです。
 そんな特効薬的なやり方には激しい副作用がありました。急激に順位が上がった生徒におとずれるリバウンドや入試に必要な実力の欠如、生徒はテストが近づくと「プリントちょうだい」「プリントちょうだい」とせがみだす。生徒の質問も「この問題の解き方は」という教科的なものから、「何がでるの」「簡単な覚え方を教えて」「どうしたら内申点があがるの」というなんとも短絡的なものに変わり、私も講師ではなく、まるで予想屋。
 実力以上の順位をとったため、実力以上の内申点を与えられ、実力以上の進学校に合格してしまう。ついていくのがやっと。最悪の場合中退。高校へ行けば、誰もプリントを作ってくれない、誰も予想問題を教えてくれない。久々に塾に遊びに来た卒塾生はこう言う。
「先生、勉強の仕方がわからない…」
 あぁ、私はこの子を骨抜きにしてしまった。私は、自分で考える知恵と失敗する権利を生徒から奪ってしまった。何が出題されるかを教えてもらった生徒は、何が出題されるかを自分で考えなくなってしまった。権威的に強く管理された生徒は叱らなければやらない子となり、自分で考えて行動ができない「指示待ち人間」のオトナになってしまう。
 塾として中学3年間がよければそれでよいのか。卒業後は知らん顔でよいのか。目先の結果を求め、今さえよければそれでよいのか。強烈な痛み止めの注射で感謝されて恥ずかしくないのか。その先の勉強を教えてあげられなくても、社会に出て相談にのってあげられなくても、普遍的な礎を身につけさせるべきではないのか。

 たかが塾。
 されど塾。

 私はこう考えました。

「私の努力で生徒の成績を上げるのではなく、生徒の努力で成績を上げるべきである」

 個人差や才能のあるなしは認めます。3回書いて覚えてしまう人もいれば、20回書かないと覚えられない人もいます。テスト勉強が3時間でできてしまう人もいれば、10時間かかる人もいます。努力が絶対報われるとは限りませんが、努力しないと絶対報われない。人から先生と呼ばれている以上、努力した者が努力した分だけ評価されることを追い求めるべきではないかと。勉強さえすればよい、などとは決して言いません。偏差値だけで人を評価するのは間違っています。家族や友達、恋愛、部活、スマホもゲームも大事でしょう。方程式の文章題や化学式、時差の計算、ことばのきまり、関係代名詞が将来役に立たなかったとしても、あの時あれだけがんばったという事実は、自信というかけがえのない財産になります。そして、すぐに結果は出ないとしても、腰を据え、努力を消費せず、そしてその努力をするのは塾の先生ではなく、本人であるべきだと。
 

「知識」を詰め込むのではなく、学ぶ「知恵」を身につける。

「自分で考えなさい。自分で見つけなさい。成績は、自分で上げなさい。こんな冷たい学習塾は、他にない」
勉強の仕方を勉強しよう、という意味がここにあります。

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